西行物語画帖
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作品名 | 西行物語画帖 (さいぎょうものがたりがじょう ) |
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作者名 | 住吉具慶(すみよしぐけい) |
時代 | 江戸時代 |
地域 国 | 日本 |
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分野 | 美術 |
員数 | 一帖 |
サイズ | 14.0×12.8cm |
解 説
西行(さいぎょう)(1118~1190)は俗名を佐藤義清(のりきよ)(憲清)といい、鳥羽院に仕え、北面(ほくめん)の武士として院の警護に携(たずさ)わり、和歌や蹴鞠(けまり)にも才能を発揮(はっき)した。23歳で出家し、西行を号した。出家後は、奥州に歌枕(うたまくら)の地を訪ね、四国で弘法大師の聖跡(せいせき)を拝するなど、無常観(むじょうかん)が色濃く漂う平安時代末の世相(せそう)のなかで、自然の風物や内面の葛藤(かっとう)を歌に詠(よ)みながら、遍歴(へんれき)を重ねた。西行の行状(ぎょうじょう)や風雅(ふうが)の心は物語にまとめられ、鎌倉時代中期以降に流布した。
本画帖は、各々13場面からなる絵と詞(ことば)を画帖の表裏に添付する。詞には料紙装飾が施され、一人の筆者によって各場面の和歌が記されるが、書写した人物は未詳(みしょう)である。絵は住吉具慶の名である「広純(ひろずみ)筆」の落款を巻頭に備え、また各面に「住吉」の朱文方印を捺(お)す。極めて細緻(さいち)な筆遣(ふでづか)いで各場面が描写される。興味深いのは絵の構図である。すなわち、室町時代・明応9年(1500)に海田采女佑(かいだうねめのすけ)相保(すけやす)によって描かれた5巻本絵巻を、寛永7年(1630)本多伊豆守富正(ほんだいずのかみとみまさ)の依頼により、烏丸光廣(からすまるみつひろ)が禁裏(きんり)から借り出し、俵屋宗達(たわらやそうたつ)とともに写した絵巻の場面と近似(きんじ)するためである。本画帖の制作に際して、禁裏本の西行物語絵物語絵巻を参照するなど、何らかの関連が想定(そうてい)される。
「つゆのたまきゆれば又もをくものを たのみもなきはわがみなりけり」(巻1第8段)
住吉具慶(すみよしぐけい)(1631~1705)
如慶の長男。名は広純(ひろずみ)、後に広澄(ひろずみ)と改め、通称は内記(だいき)
。延宝2年(1674)、44歳の時、出家剃髪(ていはつ)し、妙法院尭然法親王(みょうほういんぎょうねんほうしんのう)(1602~1661)によって、具慶の号と法橋(ほっきょう)位が与えられ、元禄4年(1691)に法眼(ほうげん)に叙せられた。その活動は、父・如慶と同じく、皇族(こうぞく)や幕府とのかかわりが大きいが、なかでも天和(てんな)3年(1683)、江戸に移り幕府に出仕し、貞享(じょうきょう)2年(1685)、狩野派だけが務めていた幕府の絵の御用(ごよう)を担当する奥絵師(おくえし)に登用(とうよう)された。