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一山一寧墨蹟 頌古

指定 重要文化財
作品名 一山一寧墨蹟 頌古
(いっさんいちねいぼくせき じゅこ )
作者名 一山一寧(いっさんいちねい)
時代 鎌倉時代
地域 国 中国
分野 美術
員数 一幅
サイズ 31.7×66.1cm

解 説

一山一寧(1247〜1317) は、中国・南宋から元時代にかけての禅僧で、はじめ天台の教義を学び、のち臨済宗に参じて曹源派の頑極行弥の法嗣となった。元冦ののち、正安元年(1299) 、元朝の国使として来朝したが、幕府の執権北条貞時から間諜の疑いをうけ、一時、伊豆の修禅寺に幽閉された。許されてのち、公家や武家をとおして厚い帰依を受け、建長寺、円覚寺などを歴住し、正和二年(1313) 後宇多上皇の請によって、南禅寺主第三世に上った。幅広い教養にうらうちされた人柄は多くの支持者を集め、直弟子の雪村友梅、一門の夢窓疎石や虎関師錬らとともに五山文学の興隆をもたらすなど、わが国の文化に与えた影響は多大である。甲辰(嘉元二年・1304)の年号と「鹿峯」の文字が記されており、瑞鹿山の山号をもつ円覚寺在住時、一山五十八歳の書であることがわかる。この頌古(禅の公案に対して見解を述べたもの)は、中国五代の頃の禅僧瑞巌空照の逸話を引いて、その禅機を説いたもので、語録『一山録』巻上に載せられている。瑞巌禅師は一日中ものも言わず石に座ってあたかも愚者のように振る舞うなど、奇行の持ち主であったことが『宋高僧伝』などによって知られる。ここでは瑞巌禅師が「他人の謾りを受けるなよ」「諾(はい)」など自門自答する奇癖について、一山は「荘周胡蝶の夢」の故事を引き、頌を賦す。自己と他者、夢と現実を相反するものとみる通常の分別から離れ、客観的視野をもって物事の普遍的な性質を見据えようとする態度を、瑞巌禅師の禅風としてとらえている。一山は唐の顔真卿の書法を伝えたとされるように、流麗な草書体からは柔と剛を備えた書風が看取される。また筆運びのなめらかさから導きだされる心地よいリズムは、字形の確たる把握に基づくものであることを示している。冒頭にかすかに墨の跡一行分が確認されるが、字句は不明である。平成元年、保存修理がなされた。

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