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円爾(聖一国師)墨蹟 法語
指定 | 重要文化財 |
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作品名 | 円爾(聖一国師)墨蹟 法語 (えんに (しょういちこくし) ぼくせき ほうご ) |
作者名 | 円爾(聖一国師)(えんに(しょういちこくし)) |
時代 | 鎌倉時代 |
地域 国 | 日本 |
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分野 | 美術 |
員数 | 一幅 |
サイズ | 32.0×55.8cm |
解 説
円爾(1202~1280) は、駿河の人で、初名は辨円。東大寺戒壇院で受戒し、園城寺で天台宗を修め、のち禅を学んだ。嘉禎元年(1235) 、宋に渡り、無準師範に参禅して円爾の諱を与えられ、法嗣となる。仁治二年(1241) 帰国後は、博多崇福寺、京都東福寺などの開山になったほか、寺院の復興にも尽くし、天皇をはじめ公家や武家の厚い帰依を受けて幅広い活動を行なった。禅、儒、医など多岐にわたって招来した漢籍は『普門院蔵書目録』にあげられており、諸学の興隆に貢献したことも大きな功績である。示寂(高僧の死の意)後の応長元年(1311) 、花園天皇から聖一国師の名が勅諡された。のびやかに葉を広げた水仙図の蝋箋(文様を浮き彫りした版型で空刷りした唐紙)に、ところどころかすれをともなう肉太の強い筆勢で記した法語は、大檀那の幼主に対して、無師自発(師に頼らず自らが仏道修行の志を起こす意)こそ仏教の要諦である旨を示す。文字や行間は、書き出しでは大きく広いが、文末に向かうにつれて小さく狭くなり、紙面での字配りや見た目のよさなどにはさほど拘泥している様子はみられない。むしろ胸中を一気に吐露したかのような気脈の備わった書で、円爾の人品をも示す厳しい風格さえ感じられる。末尾に記された慧日山とは東福寺の山号で、このことから円爾が東福寺第一祖となった建長七年(1255) 以降の作であることがわかる。