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達磨図

指定 重要文化財
作品名 達磨図
(だるまず )
作者名 清拙正澄(讃)(せいせつしょうちょう(さん))
時代 鎌倉時代
制作年・年記・銘 嘉暦元年(1326)讃
地域 国 日本
分野 美術
員数 一幅
サイズ 94.0×43.4cm

解 説

経典にたよらず仏法を自修体得することを旨とし、不立文字、教外別伝を唱える禅宗では、教法が師から弟子へ相伝されることで法嗣、法脈が作られており、その証として印可状や頂相(禅僧の肖像)が重視され、すべての法脈は宗派の祖師へとつながるところから、祖師像も同様の意義をもつ。中国にはじめて禅宗を伝えたとされる達磨は、中国禅宗の初祖とされ、宋代以後、禅宗が盛んになると、道原が景徳元年(1004) に編んだ『景徳伝燈録』などに見られるように、嵩山少林寺における「面壁九年」の坐禅、二祖慧可が手首を断って参禅の決意を示した「慧可断臂(えかだんび)」、宋雲が片方の履物をもってインドに還る達磨に会った「隻履達磨(せきりだるま)」などの話柄を含んだ達磨伝が普及した。像も絵画、版本、彫刻にわたって広く制作されていったが、わが国では鎌倉時代、臨済宗、曹洞宗の伝幡にともなって盛行する。達磨図には、主題上からは祖師としての像、行状を主題にした像、形式上は半身像と全身像それぞれ二種類に大別されるが、本図は面壁坐禅の行状を描いた像の範疇に入る半身の達磨である。眼の周囲に強い隈を施すことで、上瞼から頬にかけてきわだった立体感が表わされ、大きく開かれたするどい眼が強調される。さらに強く結んだ口元と少し上を向いた鼻は、なみなみならぬ気魂をたたえた強い意思が看取できる。盛り上がった頭頂部、疎密な髭の描写も含めて、頭部は細密で現実的である。それに対して体躯は肉太の衣紋線、要所に施された淡墨による隈取りなど両者を対比させることによって、重厚で威圧的な存在感が形成されている。図上に清拙正澄の讃をもつ。愚極智慧(ぐきょくちえ)の法嗣で、大鑑禅師と号し、嘉歴元年(1326) に来朝した中国元時代の禅僧で、建長寺、円覚寺、建仁寺、南禅寺を歴住した。達磨の来歴と禅宗の隆盛をたたえた讃は、嘉歴元年の年記から、来朝の年の作と知られる。この点を、卓抜した画技が認められることと考え合わせると、元人によって描かれた画が清拙正澄によって招来されたとも考えられよう。堂々とした書体は下方の図に伍して、鮮烈な印象を与える。

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