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和泉式部物語

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作品名 和泉式部物語
(いずみしきぶものがたり )
時代 室町時代末〜桃山時代
地域 国 日本
分野 美術
員数 一巻
サイズ 29.2×628.5cm

解 説

和泉式部は十一世紀前半に活躍した平安時代の歌人で、夫橘道貞が長保元年(九九九)に和泉守に任じられてから和泉式部と呼ばれたとされる。夫と別居後、冷泉天皇の為尊親王、次いで同母弟の帥宮敦道親王に求愛されるが、両親王とも死去し離別した。その後、藤原道長の娘彰子の女房として出仕し、藤原保昌と再婚した。和歌は「拾遺集」ほかの勅撰集に多く選ばれ、恋多き女性の喜びや哀切を素直に表し、率直で大胆な作風と評される。敦道親王との恋愛を主題にした「和泉式部日記」は、異性関係への自由さを示す。こうした閲歴は、のちに立身出世や教訓など安易な内容の話をもつ室町時代以降に流行したお伽草子などの作品を生み、各地に和泉式部伝説や関連地が作られた。
本作は、お伽草子のジャンルに入り、筋は「いずみしきぶ」に近い。十四歳の和泉式部は、夫橘保昌との間の子を訳あって守り刀などを添えて五条の橋のもとに捨てた。その子は、のちに比叡山にのぼり道命阿闍梨いう高僧になった。ある時、宮中の法事に召された道命は三十歳ほどの女房和泉式部を見初め、柑子売りに変じて宮中に赴き、和泉式部と契った。道命が身に付けていた守り刀などから、わが子と知った和泉式部は、罪障を感じ、播磨国の書写山に行き、性空上人のもとで出家した。
元縦型絵本であったが巻子装に改められている。本文の一部に欠落があるが筋の大半がたどられる。絵は十五枚を含み、経年による部分的な剥落はあるものの、金や濃彩で彩る装飾豊かな人物の装束や室内調度、比較的破綻なく構図された景観描写、季節感を明示する菫や蒲公英、芽吹いた柳、上品な面貌などを描く細線による丁寧な手法など、挿絵にとどまらず絵画としての完成度と魅力を備えている。作風や風俗描写から、十六世紀後半の制作が想定される。

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