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山崎架橋図

指定 重要文化財
作品名 山崎架橋図
(やまざきかきょうず )
時代 鎌倉時代
地域 国 日本
分野 美術
員数 一幅
サイズ 108.6×55.0cm

解 説

山崎橋は、平安時代、山背国山崎郷(京都府乙訓郡大山崎)と対岸の河内国(京都府八幡市)を結ぶ地、現在、淀川、桂川、木津川が合流するあたりに架けられていた。そしてこの架橋は行基の力によると伝えられている。また洪水による橋の損壊と修復の記録が史書に繰り返し見られ、水陸両路の要衝に位置していた重要な橋であったことがうかがえる。 本図は下方に縁起文をともなっており、かつては絵解きされたものであろうが、判読不明な箇所が多い。近世の書写になる縁起文一巻によると、損壊した山崎橋の修復が天安二年(858) になされた時、宝積寺(ほうしゃくじ)の本尊十一面観音が老翁に化身して現われ、架橋を成就させたという奇談を描いたものであることがわかる。上方の山中には宝積寺の寺観、下方には対岸の男山あたりの景、中央の架橋の場面には白衣、烏帽子姿の老翁、巡行使の一行が描かれている。山崎橋は現存しないものの、景観は現在見る山崎近郊の地形に近く、実景をふまえていることをうかがわせる。縦長の画面形式をふまえて俯瞰的な景観描写のなかに人物を点在させる構図をとっているため、縁起文にたどられる劇的な霊験の様子が、景観にとけこんで穏やかな画調となり、淡々と展開されている。件の縁起文には貞永元年(1232) の宝積寺の火災のことが記されているが、その時消失した本尊十一面観音立像は、天福元年(1233) 、官人を含む京都在住の多くの結縁者と院派仏師が関与して復興されたことが現存する同像の像内納入文書類によって確かめられる。この事実は、鎌倉時代、宝積寺が観音の霊場として広く信仰をあつめていたことを物語っており、本図の制作も本尊復興とそれほど時を経ずしてなされたものと推則される。昭和63年、保存修理がなされた。

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