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光忍上人絵伝 断簡

作品名 光忍上人絵伝 断簡
(こうにんしょうにんえでん だんかん )
時代 鎌倉時代
地域 国 日本
分野 美術
員数 一幅
サイズ 33.6×54.5cm

解 説

詞書のみからなる近世の写本「神於寺縁起(じんおじえんぎ)」二巻(神於寺蔵、寛文六年・1666奥書)によると、岸和田市の東南に位置する神於山中の神於寺は、役行者の草創になるが、のちに新羅(しらぎ)の神人宝勝権験を祀り、再興を果たした百済の僧・光忍上人をあがめ、さらには弘法大師信仰も加わるというように、経緯にはとりどりの信仰の様相がうかがえる。神於寺の縁起にまつわる中興の祖・光忍上人の伝を絵画化したものは、一般に「光忍上人絵伝」の名称で知られ、現在まで本図をはじめ頴川美術館本、フォッグ美術館本など二十数点の断簡が確認され、それらは本来一具をなしていたとみられるている。原本は散逸して不明で、これらの断簡が原本を類推する唯一の手懸かりである。本図は、宝勝権現が荒廃の進む寺のありさまを衆人にさとすべく神威をもって天変地異を起こした時、百済から霊地巡礼に来あわせた光忍上人の遭遇場面にあたる。神於山から流れ出す多量の雨水が洪水をもたらし、熊野への途上、行く手を阻まれた光忍上人がなすすべもなく手を頭にあて、茫然と立ち尽くす様を、祠など近在の景観のなかに表わす。伝にはこれに続いて、鱧崎(はもさき)の浦人から神於山の由来を聞いた光忍上人が、神威を鎮めるべく神於山に登り、権現から再興を託され、宝亀五年(774) 伽藍再興が遂げられた経過を述べる。樹葉や建物にみる鮮やかな賦彩と、人物の衣紋、岩、逆巻く川波の簡潔な描写によつて画面は明快に処理され、金泥の書をともなった小片の紺紙を添付して場面や人物の把握を容易にしている。肥痩のある柔らかな墨線で凹凸を強調し、淡彩で陰影が施された岩、数条の墨線に淡い藍を加えてリズミカルな動きを備えた波などの作風が、十四世紀半ばの制作になる「法然上人絵伝」などに共通するところから、制作年代は鎌倉時代末と推定される。

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